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第一話 古びたお守り

 青い空。太陽の日差しは降り注ぐ。その光は幻想郷を覆うことだろう。どこまでも広がる野原にも。妖怪たちの暮らす山にも。人間たちの暮らす里にも。そして、この古びた社にも。

 賽銭箱の前には女性が座っていた。赤いドレス。赤いリボン。それらを優雅にまとう姿は神社には似つかわない。

 そもそもここは、どこなのだろう。そこらに散らばる葉っぱが目につく。管理する人間は何をしているのか。落ち葉ぐらい掃いたらどうだろうか。

 それとも、誰も管理する者などいないのかもしれない。そうだとしたら可哀想なものだ。ここにまつられている神様すら、誰も知らないのだろう。神社なのに無縁仏とは皮肉なものだ。

 ただ、この今にも朽ち果てそうな社も幸いなのか不幸なのか、神木たちが境内を囲っている。まるで神社を守っているかのように。だからここは、杜の中。いや、森の中なのだ。もしかしたら山の中なのかもしれない。そうつまり、私は迷子なのだ。

「こんなところに人がいるんですね」

 目の前には少女がいた。え、私のことですか? どうやら違うようだ。

 腰まで届く長い黒髪に、雪のように透き通った白い肌が映える。そこにいたのはまるで、人形のように華奢な少女だった。

 彼女こそ、私が探している人物だった。

 少女は私の目の前ではなく、今も座り続ける可憐な女性の前にいた。彼女は少女の存在に気づいたのか、目を見開く。その瞳は髪と同じく緑色に染まっていた。

「ええ、私はいつもいつもここにいるわ。珍しいお客さんね」

 静かにそう、緑眼の女性は答える。

「そうでしたか」

 少女の声はどこか暗い。神社に参拝にでも来たわけでもないのだろうか。彼女はどこかへ立ち去ろうとしていた。

「お待ちなさい。あなた、何か用があったんでしょ。ここに座るといいわ」

 少女を呼び止めた彼女は、座っていた場所から少し横にずれる。

「……え、でも」

 何か後ろめたいのか、少女はどうしても背を向けようとする。

「あなたの話、聞いてあげるわ」

 彼女のその言葉に少女は立ち止まった。まるで何かを見透かしたのか。たった一言で少女は彼女の横へ向かい、腰を下ろした。

「何で私のことわかるんですか? その格好、人里の住人ではないですよね。まさか、妖怪?」

 少女は尋ねる。たしかに私も気になっていたことだ。彼女はもしかして……

「はずれ」

 的外れだったのか、緑眼の女性は目を閉じる。

「……そしたら。もしかして、神様?」

 少女は横を向き、彼女に詰め寄る。

「せいかい」

 答えると同時に、緑眼の女性は目を開いた。そしてその顔は少し、ゆるんでいた。

「ええ!? まさか……神様とお会いするなんて」

 彼女の正体に少女は腰を引き、驚いていた。さすがに暗く沈んだ表情もどこかへ吹き飛び、目は大きく見開いていた。

「そう驚くことはないわ。神様なんてどこにでもいるじゃない。幻想郷なんて特にそうよ。八百万の神々の中の一柱に、私は過ぎないのよ」

 自分の存在を誇ることもなく、どこか謙遜している。

「……それもそうかもしれませんが。私、神様って初めて見ました。人間と変わらないんですね」

 少女はまだ、驚きを隠せずにいる。たしかに人里の者にとって妖怪はまだしも、神と出会う機会などないのだろう。

「そうね。私は目覚めたときからこの姿だったわ。ずっと昔からね」

 人間たちからすれば、神の寿命など想像もできないだろう。人は何世代も命をつなぐ。神は果てのない時間をいつまでも過ごす。彼女はいつから生まれて、そして今日まで一体何を経験してきたのだろうか。どこか冷めた表情からは、彼女の生き様を感じとれるような気もする。

「そうだったんですね」

 落ち着きを取り戻した少女は、また元の表情へと戻った。暗く沈んだ顔。それはいつまでも。

「ええ。ところであなた……どうしてそんな悲しい顔をしているの?」

 少女に向けて、彼女は問いかける。

「……それは」

 彼女の核心を突いた問いかけに、少女は動揺する。

「無理に答えなくてもいいわ。私には、何となくわかるの」

 うろたえる少女の姿に、彼女は包み込むように話す。

「どういうことですか?」

 不思議な彼女の言葉に、少女は疑問を投げかけた。

「私には見えるのよ。あなたにまとわる大きな厄がね」

 彼女は少女を指差す。しかし、そこには少女しかいない。

「……え、それってどういう」

 指を差された少女は当然に戸惑う。私にも、何も見えない。

「私は厄神なのよ。だから、厄が見えるの。あなたには今までみたことがないぐらいおぞましい厄がついているわ。誰かに呪いでもかけられた?」

 そうか……彼女は厄神だったのか。

「……え、えっと」

 思いもよらなかったであろう答えに、少女は混乱しているようだった。

「苦しかったでしょ」

 彼女は少女の手を握った。

「……ええ」

 うつむいた少女の顔からは、涙がこぼれているように見えた。

「そうだったでしょうね。けど、もう大丈夫よ。私があなたの厄を取り除いてあげる」

 最初は冷めていた彼女の顔は、いつのまにか太陽のように明るくなっていた。

「……え、本当ですか?」

 明るい彼女の言葉に、少女は上を向く。

「ええ、本当よ。私に任せて」

 彼女はそう話すと、ポケットから何かを取り出した。そしてそれを少女へと向ける。

「何をしているんですか?」

 少女は、彼女の持っているそれを指差す。

「あなたにまとわる厄を、このお守りに移すのよ」

 彼女が持っていたのはお守りだったようだ。それも、だいぶ古いように見える。

「……は、はぁ」

 少女が戸惑うのも無理はない。私も不思議でしかたがない。

「いくわよ」

  その合図と同時に、彼女は目を閉じた。何を祈祷しているのだろう。少女もそう思っているに違いない。その時だった。半信半疑の顔を浮かべていた少女の表情 が変わる。時が止まったかのように、少女の表情は固まっている。いや、たった数秒しか経っていないはず。それなのに、その数秒はとても長く感じた。実際は 何秒ぐらい経ったのだろうか。魔法が解けたかのように少女はまた、表情を取り戻した。

「何か、気分が軽くなりました」

 その表情は、以前とは違うものだった。暗く沈んだものではなく、明るい笑顔。少女は何故か、微笑んでいた。

「そう、よかったわ」

 彼女もまた、微笑む。一体何をしたというのだろう。私には、ただ古びたお守りを少女に当てているだけにしか見えなかった。けども結果的に少女は笑顔になった。まるで魔法のように。

「あ、ありがとうございます」

 少女は何度も頭を下げる。

「いいのよ。さて、そろそろ日も暮れるわ。お家に戻ったほうがいいわよ」

 いつの間にか太陽は沈みかけ、空は赤くなっていた。

「また来てもいいですか?」

 少女は立ち上がる。

「ええ、何か困ったことがあったら力になるわ」

 彼女も立ち上がった。

「ありがとうございます。神様」

 少女は笑顔を見せる。

鍵山雛よ」

 彼女は答える。

「……え? 神様のお名前?」

 少女は問いかける。

「ええ、私は神様っていう名前じゃなくて鍵山雛っていうのよ」

 鍵山雛は微笑んだ。

「そうでしたか。今日はありがとうございました。鍵山さん」

 少女もまた、微笑んだ。

  里へ向けて少女は歩く。私も少女の後をついていく。少し歩いたところだっただろうか。突然、叫び声が聞こえた。それは、カラスの鳴き声なんかではなくて、 人のそれに感じた。少女もそれが聞こえたのか、後ろを振り向く。すると、さっきまで賽銭箱の前に座っていたはずの鍵山雛がいない。家にでも帰ったのだろう か。気になりつつも、社へと戻る少女についていく。そこには、たしかに鍵山雛がいた。ただ、彼女は地面に横たわっていた。

「……え、どうしたんですか?」

 少女は彼女の手を握る。すると、異変に気づいたようだった。彼女の手が透けてみえる。それも、その手はどんどん透けていく。

「……お守り、壊れちゃった」

 彼女は、少女にお守りを見せる。古びたお守りには、さっきまではなかった亀裂が見える。

「……ど、どうすれば」

 少女は混乱しているようだった。

「……どうしようもないわ。けども、あなたのせいじゃないわよ。何年、何十年ってこのお守りを使い続けてきてきたんだもの。だんだんと古びてきて、もしかしたら、いつか、この時が来ると思っていたの。それが今日だったみたいね」

 虚ろな目をした彼女は、少女にお守りを手渡した。

「ありがとう」

 そうつぶやいた鍵山雛は微笑み、姿が見えなくなってしまった。

 少女はうつむく。地面には涙がこぼれている。しばらくすると、雨が降ってきた。それは冷たい雨だった。次第に雷のうなり声も聞こえてくる。

 その雨は、いつまでも降り止むことはなかった。

 

続く